カンボジア・ベトナム 
 地区同年会(アトムの会)による世界遺産アンコールワットとハロン湾の旅 2017.1.13〜1.17
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  地元の座光寺小学校を卒業してから3月で49年になります。卒業時は同学年に男女65名程が居ました。男は約30数名の内、半分が地元に残り年に数回集まっては親睦を図っております。昨年の3月でほぼ全員が定年退職し一線から退いたため、同年で海外へ行こうという話が持ち上がり、今回10名が参加しカンボジアとベトナムに行って来ました。同年での海外旅行は42歳の厄落としで行った台湾以来の2回目です。
 保育園時代からの55年以上の仲間たちとあって気心が知れているため、旅行中は小学生並みの行動もありました。モーニングコールをホテルの人になりすまして、1時間早く「Good morning Mr○○」と掛けたり、一緒にマッサージに行って先に終わった者が、マッサージ最中の仲間の鼻の穴に指を入れて引っ張ったり耳を引っ張るなどして、店の人たちも笑いをこらえているようでした。やられた本人はマッサージのお姉さんがやっているものだと思っており、後から仲間のイタズラと分かっても怒れない仲なんですね。還暦に赤いちゃんちゃんこを着て祝うのはもう一度赤ん坊に戻るという意味であり、それで「還暦」という訳だそうです。60歳を過ぎて孫もいるジイさんたちが童心に帰ってしっかりと楽しんで来ました。

アトムの会…小学生当時のヒーローで、手塚治虫原作の人気アニメ「鉄腕アトム」から付けた同年会の名称です。
 カンボジアベトナムというとまず何を思い浮かべるでしょうか?最近ではタレントの猫ひろしがマラソンのオリンピック代表になるため国籍をカンボジアに移して話題になりました。ベトナムは我々の世代だとベトナム戦争が真っ先に浮かびアメリカが戦争に使った枯葉剤の影響で犠牲になったベトちゃん、ドクちゃんが記憶にあり、カンボジアも内戦の後遺症で地雷が多数残っているようで、両国とも悲惨な歴史を持つ国という印象が強く、現状があまり知られていないと思います。.まず地図からご紹介しましょう。インドシナ半島の南部にあります。タイ、ラオス、ベトナムに接しております。隣のタイやマレーシア、シンガポールの方が先進国のようです。
カンボジア              正式名  カンボジア王国             首都    プノンペン                面積    日本の約50%             人口    1,513万人(2013年)          平均年齢 24歳(日本は46.9歳)
政体    立憲君主制(代表国にイギリス、          タイ、日本、 カナダ等)
民族構成 クメール人が90%          宗教    クメール人の大半が仏教 
        その他イスラム教
言語    公用語はクメール語 
        英語、フランス語                   国境付近ではタイ語、ベトナム語
        中国語

時差   −2時間                 
ベトナム
ベトナム社会主義共和国
ハノイ
日本の約88%
9,170万人(2013年)
30歳
社会主義共和国

キン族が86% 53の少数民族14%

仏教、カトリック、カオダイ教他

ベトナム語
旅行者相手の店では英語が通じる


−2時間
カンボジア
 
現代カンボジアの形成までには内戦により多くの犠牲者を出し戦火が消えてからまだ30年も経っていない国であるということに驚きです。ポル・ポト政権による大量虐殺により私たちくらいの年代で生きている人はほんの僅かです。国民の平均年齢が24歳で、一時は14歳以下の子供が国民の85%を占めたということであります。今でも地雷が残り、年間約800人が被害を受けているようです。
カンボジアの独立から平和になるまでの歴史は、シアヌーク殿下について知ると分かります。
右をクリック→シアヌーク殿下

悲惨な歴史をたどってきた事がお分かりいただけるかと思います。

ベトナム
 ベトナムは日本も含めフランス、中国等様々な国に支配され、百数十年間という長い間、植民地の国としての歴史を持ちます。私が小学校の頃に勃発したベトナム戦争はそれまでフランスが支配していたのがアメリカが引継ぎ、北緯17度線を境に南北に分かれ、北が共産主義、南が資本主義に分かれ、1965年にアメリカの北爆によってベトナム戦争が本格化し、1975年4月30日にサイゴン陥落により終結したのです。南ベトナムの首都であったサイゴンはホーチミン市に改名し、1976年7月2日に現在のベトナム社会主義共和国が成立し、統一ベトナムが実現されました。サイゴン市がベトナム戦争の勝利国の指揮者のホー・チ・ミンの名に改名されたことで、南部の人の中にはそれを嫌っていまだにサイゴンと呼ぶ人もいるようです。ベトナム戦争は共産主義国と資本主義国との対立の象徴として米ソの冷戦時代が続きました。米軍が戦争に使用した枯葉剤により、べトちゃんドクちゃんのような奇形児が産まれ、未だに地雷が残っております。

1月13日(金)出発
昨晩降った新雪が薄っすら残る中、朝5時に座光寺の紳士服アオキを出発し、中部国際空港へ向かう。
セントレア10:30発  ベトナム航空347便でハノイへ
ハノイで乗り継ぎ  ベトナム航空841便でカンボジアのシェムリアップへ 
シャエムリアップ着(現地時間18:10)時差−2時間
夕食後ホテルへ   シェムリアップ(泊)
1月14日(土)二日目
朝食前にアンコール遺跡のパスを購入のため、ホテルを早朝5時に出発。入場パス用の顔写真を撮影後、アンコールワットへ行き日の出を待つ。日の出を見た後ホテルで朝食を済ませ、午前中はアンコール・トム、午後からはアンコールワット遺跡の観光。

アンコール遺跡
9世紀から15世紀にかけてインドシナ一帯を制圧したクメール王朝の首都跡で、代表的な遺跡は「アンコール・ワット」と「アンコール・トム」で「ワット」はヒンドゥー教、「トム」は仏教の影響が色濃い。1992年に世界文化遺産に登録されたが、今から150年前にはその存在は知られていなかった。1860年にフランス人博物学者のアンリ・ムーオによって再発見されるまで、密林の奥深くに眠り続けていた遺跡である。1972年からのカンボジア内戦で、ポル・ポトが指揮していたクメール・ルージュの原始共産主義勢力によりここが陣地とされ、砲弾を受けたため仏像が破壊され、各国からの援助で修復されてきている。日本からも周辺の地雷の撤去や、参道の石組みの修復に石工が指導しており、NHKのプロジェクトXでも紹介されている。

アンコール・トムは縦横3km四方に囲まれており、その広さと石で造られた建造物の大きさに、ただただ驚くばかりでした。

            バイヨン寺院回廊にある彫刻画
東西160m、南北140mの回廊の壁面に12世紀の人々の生活模様が多数描かれている。狩り、漁、炊事、出産等々、細かく刻まれているのには驚いた。

  アンコール・トム遺跡東側にあるタ・プロム(1186年代に創建)
当初は仏教僧院として建設されたが、後にヒンドゥー教の寺院に改造された。アンコール遺跡発見当時の景観で保存する方針で、あえて必要最低限の修復しかされていない。巨大なスポアン(カジュマルの一種)の木々に押しつぶされた回廊は風化の跡も見られ、永久にこのままの状態で残すというには無理があると思うが、100年〜200年くらいは大丈夫だろう。


巨大な根が血管のように細かく張り巡らされた箇所が数箇所あり、撮影スポットとなっており、記念撮影には待たされた。



午後アンコール・ワットへ

カンボジア国旗にこの国の象徴「アンコール・ワット」が描かれている。
                   
 巨大な建造物の基壇から塔の頂までを浮き彫り(レリーフ)で埋め尽くされ、いったいどれだけの時間(歳月)を掛けて出来たのか?気が遠くなってしまう。
右の写真の壁面のアップです。長い回廊が続いております。


        気球に乗って上空から見たアンコール・ワット 
 広さ1.5km四方の周りの深い密林の様子がお分かりいただけると思います。

アンコール遺跡を見学後、市内でクメール料理の夕食を摂り、ベトナム航空で再びハノイへ                            ハノイ(泊)

1月15日(日)三日目
世界自然遺産のハロン湾クルーズへ
       ハロン湾に向かう途中の車窓から見た田植えの様子
ハロン湾
ハノイから車で3〜4時間東に行った中国に近いところに位置する。穏やかな海に2,000もの奇岩がそそり立ち、「海の桂林」と形容され、その奇岩の間を縫うように観光船クルーズが行なわれており、世界中からの観光客で賑わっている。ハロンとは「龍が降りる地」という意味だそうだ。

        帆船によるクルーズもあるようだが、見られなかった。

       まさに「海の桂林」という形容に誰もが納得するだろう。


 ハロン湾には洞窟がいくつもあり、数百年前は海賊の隠れ家としても使われていたようだ。カラフルなライトアップはいかにも東南アジア人らしいセンスだ。
日本の鍾乳洞も過去に幾つか見てきたが、鍾乳石の長さがはるかに長いように感じ、凄いの一言に尽きる。
 ハロン湾の2,000にも及ぶ奇岩だけでもその景観に驚かされ、さらに鍾乳洞にも驚嘆し、まさしく世界広し、これぞ世界遺産だと思います。

ハノイへ戻り夕食後昨晩と同じホテルへ    ハノイ(泊)

1月16日(月)四日目  市内観光と水上人形劇観劇

  電線に注目して下さい。自分の家に引かれている線が分かるのかな?


  ベトナム建国の父 ホー・チ・ミンの遺体が安置されているホーチミン廟

午前中市内観光をして午後から伝統芸能の水上人形劇を観劇、水面をステージにして人形が水上を動き回るのだが、からくりが分からない。水中で人がシンクロナイズのように息を止めて操っているのかと考えたのだが、無理がある。最後に人が出てきて驚いた。水の深さは膝くらい。いったいどうやって操っていたのか不思議でならない。飯田の人形劇カーニバルにも来た事があるようだ。

こうして水上人形劇を最後にベトナム最後の晩餐後、深夜空港へ 

1月17日(火)五日目
セントレアへ7:00着 入国手続き後飯田へ


アンコール遺跡の入場券のための顔写真撮影に並ぶ。早朝5時だというのに世界各国から来た観光客で混雑には驚き。

アンコールワットからの日の出  6:51

早朝から日の出を見に来た人たち

アンコール・トム 南大門

バイヨン寺院での記念撮影 同年10人衆
日本は真冬なのに半袖でも暑いくらい。

スポアンの根に巻き込まれた回廊
ニシキヘビが巻きついているようだ。

30℃の暑さの中、広い遺跡を歩くのには、体力も必要だ。

重機が無かった時代に、これほどの石材をどのようにして積み上げたのか?まったく見当がつかない。さらに彫刻まで施されている。

    カンボジア国旗  1993年制定


   気球に乗って150mくらいの高さから見物
   ベトナム ハノイのホテルロビー
酉年にちなんで金の鶏の飾りが置かれていた。春節が近いこともあり、ベトナムではキンカンを飾るのが風習だということだ。商店ではXmasセール中で、サンタクロースが氾濫していて、今や正月前といったところでした。





      湾のシンボル闘鶏岩

 ハロン湾を見ながら海鮮料理に舌鼓

 船の向こう側の岩の鍾乳洞見学のため上陸

 この高さ、空間が感じられますでしょうか?




 バイクへ3人乗り 4人乗りもたまに見受けられた。
とにかくバイクが多いのには驚いた。ビービーとクラクションが賑やかい。人が道路を横断するときは日本のように早く渡るのは危険。人の動きが予測できず跳ねられる。ゆっくり動くことでバイク、車が避けてくれるのだ。




   朝の通勤風景 日本のバイクが活躍
     孔子を祀る目的建てられた文廟
カンボジア・ベトナムは悲惨な歴史を辿って来た国で、ようやく近年になって近代化の道を歩み始めたところです。今回は観光地巡りの忙しい旅でしたので内地や戦争の傷跡も見る事が出来ませんでしたが、もっともっと見たい国です。昨年のモンゴルもそうでしたが、世界には色んな生活があってそれを直接見ないと分からない。井の中の蛙にならないよう、世界の様々な暮らしや自然を見ていきたいと思います。