極東ロシア カムチャッカ アバチャ山紀行  
                                              2019.7.14〜7.19
      野塾写真館 カムチャッカに咲く花 ← クリック
 テレビのCS放送を見るようになってから、秘境でのサバイバル番組やアニマルプラネットに引かれて、趣味の写真撮影に行きたいと希望を膨らませておりました。ブータン、アイスランドに以前から興味があったのですが、行くとなると日数も掛かるし、旅費も結構掛かります。5日〜6日の日程で行ける秘境を探していたところ、秘境カムチャッカのアバチャ山登山のツアーを見つけ行くことにしました。海外の本格的登山は初めてです。
 今回のツアーには栃木県の3名のご婦人グループ、愛知県から山の会のメンバー9名、私を含めて個人での参加が4名の計16名と添乗員の男性1名です。年齢は最高80歳の男性もいて、ほとんどの方々が第一線を退かれ、第2の人生を送られているようでした。

 カムチャッカ半島は地図でご覧いただくように、北海道の北のサハリン(樺太)のさらに北にある大きな半島です。面積は日本の約1.25倍ですが、人口は31万人人口密度は2人/ku日本の人口密度338人/kuと比べるとその違いは歴然です。(2018年統計)

千島列島からの環太平洋火山帯が走り、約300の火山の内29が活火山で、ユーラシア大陸でもっとも高い火山であるクリチェフスカヤ山(4,750m)の他、ムトノフスキー山、クロノツキー山コリャーク山、アバチャ山(2,741m)の活発な火山があり、火山の博物館とも呼ばれております。
カムチャッカの火山群は1996年にユネスコの世界自然遺産に登録されております。

歴史について
 カムチャッカと日本人の関わりは18世紀始めから数回にわたり、北海道の松前藩や摂津国(現在の大阪府)、薩摩藩らの数名を乗せた船が漂着し、殺された者や現地で日本語教師として残った者もいたということです。以前に見た西田敏行が出演のテレビ映画で、極寒のシベリアで凍傷にやられ足を切断するというシーンを思い出し調べたところ、天明2年(1782年)に伊勢から江戸に向かった17人を乗せた神昌丸が嵐に遭い、9ヶ月漂流しアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、仲間が次々と死んでいく中、残った9人で帰国のために船を造り、漂着から4年後にカムチャッカへ向かう。だがそこでの極寒生活で3人が死亡。残った6人で帰国願いを陳情にレナ川沿いにイルクーツクに向かったが、1人が凍傷で足を切断し、帰国を諦め帰化する。これが西田敏行だったんですね。生きて日本に戻れたのは船長の大黒屋光太夫(緒方拳)のほか2名で、伊勢を出向してから実に9年の歳月が流れていたという話です。このドラマは「おろしや国酔夢譚」(おろしやこくすいむたん)という井上靖の長編小説で、大黒屋光太夫の記録が残っている「北槎聞略」を参考に書かれ、ロシアの協力を受け1992年に映画化され公開されております。大黒屋光太夫は日露交渉の扉を開いたとして、出身地の三重県鈴鹿市には「大黒屋光太夫記念館」が平成17年に開館しております。余談でしたが、あのドラマは終戦時にシベリア抑留に遭った話かと思っておりました。
 半島の南部には千島列島から来たアイヌ民族も暮らしていたようです。
 米ソの冷戦時代はアメリカに一番近い地籍であるため、軍事拠点として外国人の立入りを禁止していて、ようやく1990年に外国人が行けるようになったまだ未開の地であります。
写真撮影も空港、橋、鉄道、飛行機からの撮影等も厳禁という注意がありました。

 州都 : ペドロパブロフスク・カムチャッキー
 電圧プラグ:220V Cタイプ
 時差 : ウラジオストク 日本より+1時間
       ペドロパプロフスク・カムチャッキー日本より+3時間
 通貨 : ルーブル  1RUB=約1.7円  成田空港での両替率2.18円
 気候 : 亜寒帯〜ツンドラ気候(コケ類、地衣類)
                                写真をクリックすると拡大できます
7月14日 成田空港〜ウラジオストク

 15:40  S7−6282便でウラジオストクへ
 現地時間
 19:05  ウラジオストク着     (ウラジオストク泊)

 ウラジオストクの方が日本より1時間進んでいるため、フライト時間は約2時間半ほど。
 成田からカムチャッカまでの直行便は以前はあったもよう。

 「鶴瓶の家族に乾杯」というNHK番組で、笑福亭鶴瓶がウラジオストクとハバロフスクをMr.マリックと訪れた時に、美人と超美人しかいないと言ってたのを記憶している。バックナンバーを調べてみたら2010年8月16日放送であった。確かにロシア人女性は美人が多い。テニスのシャラポア、フィギアスケートのザキドワもご記憶も新しい事でしょう。

 

ウラジオストク空港

  

夕食のサーモン
7月15日 ウラジオストクからカムチャッカ
        アバチャ山麓ベースキャンプへ

7:35 SU-5614便でペドロパブロフスク・カムチャッキーへ
現地時間 (ウラジオとの時差+2時間) 約3時間のフライト
12:45 ペドロパブロフスク・カムチャッキー着

郊外のレストランで昼食後、アバチャ山麓のベースキャンプへ
軍用車両を改造したような6輪駆動車に乗りベースキャンプに向かったのですが、まるで河原を走るため、さっきまで食べていた昼食が、揺られて行くうちに口から飛び出すんじゃないかと思われる程でした。

ベースキャンプへは16時頃到着。標高900mで右手にアバチャ山、左手にコリャーク山がよく見え、周りには可憐な高山植物がピークを迎えておりました。ウルップソウは終わりに近いようでしたが、チシマフウロウが見事でした。部屋割は男性6名全員が1つの部屋(小屋)で、2段ベッドが設置されていて湿った敷布団の上にマットを敷き、その上に寝袋というスタイルです。山小屋ですからシャワーも無く、トイレは10m程の処にポットン式があり、銀蝿と臭いには山をやらない人なら卒倒するでしょうね。
それに加え、蚊の凄いこと。持って行った蚊取り線香で食事の間、入口を締め切って燻しました。
緯度が高いため夜10時でも明るく、夕食の時間になるまで周辺の散策に出掛けました。小屋の周りには地リスが棲んでおり、人馴れしていて餌をねだりに来ていました。天敵のキツネが居るようで、岩陰に隠れるのを小屋の中から目撃しました。

お天気はまったく心配なく、明日も晴れそうでありました。



  

レストラン駐車場からの
コリャーク山(3,456m)

河原道を行く

ベースキャンプ地
奥はアバチャ山

チシマフウロウと
コリャーク山

愛嬌振りまく地リス

ご飯、鮭のスープ、サラミの他に毎回ゆで卵があった

7月16日 ベースキャンプから
             アバチャ山往復

 朝5:30に朝食、6:00出発ということであったが、星空撮影をしようと3:30に外に出てみた。行く前から月が満月の前で、星撮影には条件が悪いと分かっていたので、大きな三脚は携行しなくて正解でした。南の方に明るい大きな月が出ており、2等星くらいしか見られず、念願だった天の川撮影は無理でした。それでもとあまり明るくない北の方にカメラをセットし、コリャーク山を入れて撮影しました。何とか僅かに北斗七星が写っていました。肉眼でも確認出来なかったのに、最近のカメラの進歩には驚きました。今回の山行のために新しいミラーレス一眼レフ(EOS R)を買って、星の試し撮りも天候不順で出来ないまま持って行ったのでした。
 
 朝食を取り6:25に出発。登山組は11名、山麓フラワーウォッチングは5名です。登山組には現地ガイドが4名付いてくれ、昼食も担いで行ってくれました。予定では往復10時間と聞いていたので、体力つくりに数ヶ月前から筋トレと有酸素運動でを週3、4回行なっておりました。

 ベースキャンプの標高は900m、山頂は2,741mで標高差は結構あります。尾根に沿って三つのピークを越えて行きます。周りには赤紫のレブンソウか?オヤマノエンドウ、黄色いチシマヒナゲシや青い小さな花ミヤマムラサキか?等々が咲き癒してくれます。振り返れば富士山を尖がらせたような成層火山のコリャーク山(3,456m)を眺めながら、最高の展望で疲れを感じさせません。コリヤーク山は相当雪が残っており、北側はまだ日本の冬山のようでした。

 鞍部に避難用の石室があり、そこで眺望に浸りながら昼食を取り、山頂アタックへのエネルギー補給です。
       
 山頂へのルートは写真正面左側の斜面をジグザグに登るのですが、雪が解けて凍っており、ストックを駆使して慎重に登りました。

 山頂火口に14:15に到着。実に出発してから7時間50分かかりました。
火口に沿ってまだ奥に行きます。途中で山頂標識が倒れており、三角点表示もないようでした。日本ならすぐに直すのに。(ここは世界遺産)
 今まで見てきた火山は、白根山や乗鞍、御嶽山にしても噴火口は水が溜まっているか、爆発で岩石が吹き飛ばされて深いのですが、アバチャ山は1991年の噴火で溶岩が流れ出て、冷えて固まったということです。その岩石の上に雪が積もって残っております。いたる所から火山性ガスが吹き出ており、いつ噴火してもおかしくない山です。1737年以降16回も噴火しており、最近は1991年ということで、過去の頻度からみると17〜18年に1度噴火していることになります。もうそろそろ噴火ですかね?

 火口の縁(へり)を左に半周して行止まりで引き返し、今度は右の行止まり地点まで行きました。写真をご覧いただいて分かるように左と右では地肌の色が赤茶色と黄色で全然違います。鉄分の参加した色と硫黄です。日本では立入禁止になるようなところを平気で行きます。足元でガスが吹き出し、岩には硫黄の結晶が固まって真黄です。硫黄臭は不思議と日本の火山より弱いです。

 山頂火口を十分に満喫し15:30に下山開始。登りに約8時間掛かっているので、5時間で下れるかどうか。下りの方が滑落に注意しなければならない。
昼食を取った避難小屋まで雪上を慎重に下るが、左にトラバスする時に登っていた数人のパーティの先導者が石を過って落とし、拳よりひと回り大きな石が落ちていき、仲間の後続者に当たったように見えた。直ぐに私たちのガイドが確認に行ったところ、幸い打撲程度で済んだようだった。頭に当たっていたら大ケガだから怖い。私は剣岳に行った時はヘルメットを着用して登った。

 昼食を取った避難小屋(石室)からは登って来たコースと違い、ラクダ山の方面へとザラ場を下る。富士山の大砂走りのようだと言ってダブルストックで軽快に走って楽しんで下りました。高山植物が現れ始めると行く手に黄色く絨毯を敷いたように見える所が!行ってみるとミヤマキンバイと思われる花が咲き乱れ、それが数百メートルにも広がっているのだ。余談だが日本アルプスでよく見かけるシナノキンバイとミヤマキンバイは同じキンバイという名前なのに、シナノキンバイはキンポウゲ科、一方のミヤマキンバイはバラ科であり、葉の形が違います。バラ科のミヤマキンバイはクサイチゴのように葉が3枚に分かれています。ここでミヤマキンバイらしきと書いたのは同じバラ科でミヤマダイコンソウがあり、花も同じなのですが葉が丸っこい形で、花柄が長いのが見分けのポイントかと思います。カムチャッカの高山植物は緯度が高いため、利尻、礼文島のように海抜が低いところでも生育しており、厳しい寒さのためか日本アルプスの花より小型のものが多いように感じました。

 下山のフィナーレは大雪面です。尻やザックで滑り下りる者もいて皆はしゃいでおりました。私はダブルストックで両足をそろえてスキーのように直滑降で滑ってみました。斜度が急な所ではうまくいきました。こうしてベースキャンプに戻ったのは20時で、往復13時間35分の行程でした。11人全員無事で山頂に登頂できました。みなさん凄い体力です。今まで聖岳、前穂高岳、蝶ヶ岳〜常念岳等、日帰りをやりましたが12時間の行動で済みました。今回は最長の行動時間でした。日の長い高緯度でないと日が暮れてしまいますね。
 

コリャーク山と北斗七星

アバチャ山めざして登る

ミヤマムラサキ

コリャーク山を眺めながら昼食を取る

今回一番の難所

頂上直下の最後の登り

山頂に到着

火口の縁をさらに奥へ
縁を右(西側)に行く

火山性ガスの中での記念写真

山頂を後にして
下山開始
コリャーク山を正面に見て下山

見事なミヤマキンバイの群落

最後は雪渓を滑り下りる

 スキーがあれば絶好のゲレンデとしてこのシーズンでもロングラン滑走が出来ます。

アバチャ山頂
ここまで登った
 7月17日 ヴァチカゼツ山麓
             フラワーウォッチング

 
アバチャ山ベースキャンプから6輪駆動車に乗り込み、西側にあるヴァチカゼツ山麓へ移動。途中、水産物を扱う売店に寄り土産品を買う。生鮮魚介類、奥に肉類も置かれていたが、生ものは土産に無理なため缶詰を物色。カニ、イクラは絵で分かるのだが、他は分からず通訳のラウさんに尋ねるとタラの肝臓だと聞き、5個購入する。(サラダに入れて食べると聞いて、帰国してからタマネギ、トマト、キュウリのサラダでドレッシングかけて食べました。昔懐かしいイカの缶詰の味がして好みです。)
 
 幹線道路からヴァチカゼツ山麓にダート道に揺られながら進む。白樺に囲まれた一本道で、シシウド、バイケイソウの白い花が密集した中に、チシマフウロウの薄紫、ハマナスのピンク、チシマキンバイの黄色が彩を添え、その広さも半端でない。ロシア極東の大自然を感じさせてくれる。途中、キバナアツモリソウの群落を観察。日本では超貴重な植物で、立入禁止は絶対だが、ここは自由に入れる。

 目的の散策場所に近付くととんでもない枝道に入る。外国人流に言えばクレイジーな道だ。キャンプに来ている他の車も日本車のランクル、デリカのリフトアップした車で、轍が深過ぎて並大抵の車では入れない。補修もしないのだろう。

 尾瀬を思わせるような平坦な花畑の中に道が開けられており、後方から来た車が、何のためらいもなく花畑の中に入り、方向変換して行ったのには驚いた。ガイドの話では現地の人は花に無関心らしい。

 見られる花は日本の山で見られるものが多く、シナノキンバイと同じ(こちらではチシマキンバイ)、ハクサンチドリ、ゴゼンタチバナ、ミヤマシオガマ、コバイケイソウ、ハクサンフウロウ、クロユリ、キバナアツモリソウ等々が咲き誇っていた。高山植物にはハクサン、チシマと名の付くものが多く、本州から千島列島、カムチャッカにかけては同じような植物が多い。ヨーロッパアルプスに行くとまた全然違う。アバチャ山麓でもここでも、スミレ系の花は見られなかった。時期は今頃なら咲いていてもいい筈なのだが。
 高山植物の種類では八ヶ岳のオウレン小屋付近から硫黄岳、横岳周辺の方が圧倒的に多いと感じます。

 テーブル囲んで昼食を取り、スーパーマーケットで今夜の飲物や土産を買って今日の宿のバラツンカ温泉へ。二日ぶりにやっと風呂に入れる。

 夕食後近くの温泉プールへ。露天風呂かと思いきや温泉プールで現地の若者が戯れているようだった。お湯はぬるくてなかなか温まらない。深さがあり、ところどころに下から熱い湯が吹き出ていたので、その辺で温まる。すべすべ感、温泉臭もない。ことによると熱泉で真水を熱交換しているのでは?
 入浴を済ませホテルに戻る途中に、遠くからカッコウの鳴声が。時計を見ると午後10時半。そんなに鳴くと声が枯れるよ。

キバナアツモリソウの群生
真中はハクサンチドリ

クレイジーな道

奥はヴァチカゼツ山

ヴァチカゼツ山左方向の山

蚊取り線香、虫除けネットで万全対策

森に囲まれた周りに何もないホテル

露天風呂?温水プールでした
    
 7月18日  最終日 帰国の途に
  7:30  ペドロパブロフスク・カムチャッキー空港に向け出発
 10:00 ウラジオストクに向け出発 S7-6216便
 13:20   成田空港に向け出発
 日本時間
 15:00 成田空港着
    
 22:00 自宅玄関に着
 

カムチャッカよさらば
右奥にコリャーク、アヴァチャ山
 私の住んでいる伊那谷は南アルプスと中央アルプスに挟まれて、その谷を天竜川が流れております。北アルプス、八ヶ岳にも比較的近いため、現役で働いていた頃は土日を利用した山行がほとんどで、長野県外の山に行ったのは富山県の立山・釼岳くらいです。昨年現役を退き、ほぼサンデー毎日に近い生活になったため、これからは東北の朝日連峰、飯豊連峰にも足を運んでみたいと思います。
 今回行ったカムチャッカは釣り番組でも取り上げられ、アングラーならよだれが出るような聖地です。また、南端のクリル湖ではヒグマが集まり、動物写真家にも格好の場所で、写真家の星野道夫がテントをヒグマに襲撃され、ここで亡くなっています。また、椎名誠の「怪しい探検隊」メンバーであった山岳写真家の岡田昇もカムチャッカを愛した一人ですが、残念ながら2002年1月に仲間と別れ、1人奥穂高岳に向かったまま消息不明となっています。
 ホテルや山で出た食事もロシアらしい鮭を使ったスープ、ボルシチ等が美味しく、いつも満腹になるまで頂戴しました。
行く前にアバチャ山登山の情報を集めたところ、時間の都合や悪条件で山頂まで行けず、途中で断念といった紀行が多く見られ、ことによると山頂は無理かと思っていたのですが、好天に恵まれ山頂まで行けて大満足です。
 ご一緒していただいた皆さん大変お世話になりました。次回はマレーシアのキナバル山(4,095m)に挑戦したいと思います。

 
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